自ら主体となって動きたいという想いから
数々の挑戦を経て、自らに磨きをかけ、現在は機能安全のコンサルタントへ。
クレスコの中でも「狩猟民族系」と語る彼のマイキャリアをご紹介します。

入社1~3年目

「クルマが好き」という想いで、当時車載製品開発を行っていた組込み開発への配属が叶い、組込みシステムエンジニアの道へ。3年目まで、カーオーディオの組込みシステムを担当。だがクルマへの憧れだけでは開発スピードについていけず、同期と比べてもハンデは明らかだった。先輩に質問したり、独学で勉強しながら、理解し消化するだけで精一杯な日々。そうした中でも「こういう技術を試してみたい」「こういう設計にすればもっと良くなる」といった開発に対する理想と現実のギャップを抽出しては、心の中に貯め続けていた。

入社3年目

3年目になると、新たなチャンスが訪れた。それは8人のチームリーダーとなって、新機能を開発するというプロジェクト。過去のやり方に左右されずに、ゼロから自分たちのチカラで挑戦できる環境が私にはピッタリだった。新人もベテランも意見を出して、新しい技術も積極的に検討して、最適解を模索しながらプロジェクトを牽引していく。思い返せば未熟な部分はまだまだあったが、リーダーという新たな挑戦を経て、技術へのハンデは全く感じなくなり、「一通りやっていける」という自信を手に入れることができた。

入社4〜7年目

新規のお客様を担当。大手のお客様で関係者も多く、自分の意見ややり方が発揮できない環境の中で伸び悩んでいた「負の時代」。ここからの脱却に1〜2年は苦労した。そういった状況を打破するべく、外部の技術コミュニティに積極的に参加するようになる。会社の中で与えられた仕事を全うするだけでなく、外に目を向け、自ら動き、お客様に仕掛けていくための知識や技術を身につけようと考えていた。様々な分野の専門家から多くのことを学び、刺激を受け、視野が広がったことで自分のモチベーションも徐々に上がり、仕事もうまく回り始めてきた。

入社7〜9年目

『機能安全』への挑戦がスタート。自動車を海外輸出するための規格の1つに機能安全が組込まれたことから国内の自動車業界全体でニーズが高まり、担当していたお客様からの相談がきっかけとなった。日本では比較的新しい領域で、有識者も少ない。自動車の車載システム開発で定評のあるクレスコだからこそ、この新領域を開拓したいと胸が躍った。ゼロから知識を学び、独学では限界があるので、外部コミュニティへの参加、業界団体に加盟してさまざまな方々との議論にも加わり、自分自身の知見を深めていくことで、お客様に信頼していただけるのも嬉しかった。

入社10〜11年目

『トップエスイーに参加してみないか?』上司から声をかけられたのは、10年目のこと。『トップエスイー』とは、次世代を担う技術者を育成する外部機関の教育プログラムで、年に社員1〜2名が選抜され、1年間にわたって情報系の先端技術教育を受ける。なによりこの1年間は仕事よりも「学び」が優先される。他社の精鋭SE達との様々な経験や考え方に触れるのは実に刺激的な経験。自分の中で一度全てがリセットされたようにも感じ、改めて「主体的に働く」という初心に立ち戻ることができた。

入社12年目

機能安全におけるコンサルティングやアドバイザリー業務も増え、もっと体系的に学ばなければお客様をミスリードする恐れがあると感じ、大学院で機能安全を含めた安全全般を本格的に学んだ。あくまで自分の決断で、その決断が揺らがないよう会社の補助は受けないという選択をした。組織に従っていくだけの人間にはなりたくないという頑固者(笑)。こうして専門性やコンサルタントとしてのスキルを磨き続け、やっと独り立ちできたかなという段階にきた。

現在〜これから

現在は、機能安全を主軸としながら、社会や会社組織に対して次の仕掛け作りにも取り組んでいます。機能安全でいえば、今後も医療、介護ロボット、自動車業界のセキュリティ分野で期待は高まっています。そうした機能安全のニーズの高まりにクレスコとして先陣を切っていくためにも、組織に属しているメリットを活かし、後進を増やしていくこと、自分から積極的に学んでいけるような仕組みや雰囲気作り、さらに外部のプロフェッショナルとも手を組みながら、技術的にも業界的にも活動を拡げていきます。
開拓者みたいなイメージはあるが、技術もどんどん進化し、来年はどんなお客様のニーズで自分が動いているかはわからない。私の根本には、どこに獲物がいるか、どうしたら手に入るか、どうしたら食っていけるかといった狩猟民族的な「勘」を失いたくない、これが一番にある。それを尊重してくれるところも、クレスコの良いところだ。

 

※内容はインタビュー当時のものです。