プラットフォームシステム技術者としてキャリアを積み、3人の子に恵まれ、3度の産休・育休を取得。
そこで感じた「技術者の働きやすさ」を考え続け、制度策定や改革に挑むことに。
そんな彼女のキャリアステップを紹介します。

入社1〜3年目

かなり昔の話になりますが(笑)2002年にクレスコに入社。プラットフォームソリューション事業部に配属になり、新人時代は、通信系の企業でカード決済の保守を担当しました。メイン業務だったUNIXのOSやハードウェア周辺の保守を通して、システムの全体像を学び、時に、サブシステムの構築を行うことで、専門性を磨いていきました。

入社4~5年目

保守経験で得たテクニカルスキルを買われて、銀行のシステム構築に携わりました。これは、銀行の即時決済システムのインターネット化に伴い、プラットフォームも根本から見直そうという案件で、要件定義から設計、構築、テストに至るまで、上流から一気に流れを経験したことで、技術者としての自信がつきました。ちょうどその頃、私生活では結婚して、すぐに妊娠したことがわかりました。別の金融機関でも即時決済システム導入の担当にご指名いただき、嬉しい反面、子育てにも全力を尽くしたいという想いがありました。そこをクレスコは後押ししてくれて、産休ギリギリまで携わり、出産後は1年半の育休をいただきました。

入社7~8年目

復職後は短時間勤務のため、社内作業がメインでした。プラットフォーム案件のヘルプに入ったり、新規ビジネスの営業、当時トレンドだった仮想化技術の社内調査を行うなど、社内で新たなチャレンジをしようとする時に、よくアサインされました。しかし、子どもが病気がちで休みも多く、時間制限のある中での業務はいつも「もっとやりたい」という葛藤と闘う日々。一方で多彩なITトレンドやお客様のニーズを知ることができて、驚きと発見も多かったですね。そして、2人目を妊娠して産休に入りました。

入社9~13年目

2人目の産休・育休は1年間。そして、実は子どもは3人ほしいという想いがあって、また1年後に産休・育休をとりました。3人の子どもを抱えてすぐに復帰するのも辛いなということで、この時は2年休ませていただき、子どもとの時間をしっかりとらせてもらいました。復職後に感じたのは、1人目の時とは違って、プロジェクトも短時間勤務を受け入れる風土ができつつあり、社会全体の流れが変わってきたこと。もっと役に立ちたい一心で、行き帰りの電車や昼休みに勉強して2人目の復帰後にはLinuxの資格を取り、3人目の復帰後にはAWSの資格を取得。そしてある時、上司から「助かってるよ。本当にありがとう」という何気ない一言をいただき、続けてきて良かったという思いが込み上げてきました。

入社13~14年目

事業企画室に異動し、中期経営計画の一角を担う人財開発の企画に携わることになりました。ここでは、技術者経験を活かし、社内の様々な制度の設計や改革を担当。数多くある制度の中でどこにフォーカスし、手厚くしたらよいか、様々なキャリアパスを今ある制度とどう組み合わせたらよいかなど、事業戦略に沿った施策を検討していました。これは事業部横断プロジェクトでもあるため、様々な事業部にヒアリングに行く中で、出産を控えた後輩や、育休を取りたい男性社員からも、働き方の相談を受けるようになりました。

入社15年目〜現在

人財戦略室に異動し、マネジャーとなりました。社員の育成に携わる傍ら、「人財育成モデル企業」を目指して様々な施策を推進し、社外への取り組み発信も行っています。中でも力を入れているのが、スペシャリスト人財の育成。社内にはどんなスキルを持った人財がいて、その人財をいかにビジネスとして活用していくかなどを検討しています。正直、かつてのプラットフォームの仕事はお客様先のサーバのそばで仕事をしないといけないため、時短や急な休みが受け入れられず、辞めていく先輩もいました。今は技術も働き方も多様化しているからこそ、活躍の場は必ずある。私がそうした技術者が働きやすい場作りを制度で支えていきたいですね。そして、これからの後輩のためにも、子育ても仕事も両立できるロールモデルでありたいと思っています。

 

※内容はインタビュー当時のものです。