大手家電メーカーなど、複数の有名企業のIT研究部門を経験してきた綾塚 祐二。そんな彼がクレスコの技術研究所へ転職したのは、研究部門自体を育てることに惹かれたからでした。2021年現在、先端技術を顧客の課題解決に活かす研究と同時に、成果を世に伝えるアウトリーチにも情熱を注ぐ綾塚の想いを紹介します。

発信することが、次の一手へと導いてくれる

▲技術研究所 シニアテクニカルエグゼクティブ 綾塚 祐二

 

クレスコの研究部門である、技術研究所。

 

そこに綾塚 祐二がジョインしたのは、2015年のことでした。綾塚は、複数の情報系企業の研究部門にてキャリアを積んできた研究者です。

綾塚「クレスコに技術研究所ができたのは2012年。研究所としての歴史は浅く、『これから研究所を育てていく』ということに面白みを感じ、入社しました」

2012年当時のクレスコは、社員数が1000名に満たない規模でした。その規模で研究部門を持つ企業は珍しく、技術研究所を創設したことは、『先端技術に積極的に取り組んでいく』というクレスコの意欲の表れでした。

綾塚「クレスコの技術研究所のミッションは、まだ世に広まっていない先端技術を用いて課題解決に取り組み、クレスコの未来の強みを創ることです。技術研究所創立10年目となる現在は、お客様や大学との共同研究を通した課題解決を中心に行っています」

綾塚は、「入社して最初に関わった共同研究が、クレスコでの研究で一番印象に残っている」と言います。

 

その研究は、大学の医学部との産学連携で進められました。内容は、OCT機器で撮影した眼底の断面図の画像データを機械学習にかけて、病気があるかどうか、あるとすれば何の病気かを判断する研究です。

綾塚「OCT機器は比較的新しいので、撮影した画像を十分に解釈できる医師がまだ少なく、うまく活用しきれていないという課題がありました。そこで、画像解析が得意な機械学習を使用してみることになったんです。結果、画像から病気の種類を判別させることに成功しました」

これを皮切りに、医療系の仕事が次々と広がっていきます。しかし、研究は長期的に実施していくものであり、すぐに会社の業績に表れる成果を生み出せるものではありません。

綾塚「日々の研究を実用化させることは、本当に難しいことなんです。今回の成功も、AIを研究する中で、『たまたま医療分野で実を結ぶことができた』という認識ですね。

 

その中でも、継続して意識していることは、有益な情報を対外発信することです。共同研究の成功例をなるべく早く発表することで、次の一手につながった例もあります。発信がクレスコだけでなく、世の中の改善にもつながってくれればいいと思っています」

「怖いったらありゃしない」。失敗の許されない海外の舞台で、つかんだ自信

▲2000年、オランダでの学会発表にて

 

綾塚の研究者としてのベースは、学生時代の経験が元になっています。

綾塚「大学時代、ふとしたきっかけから、UI(ユーザーインターフェース)の手法のアイデアを思いついて、実装・実験し、研究論文を書きました。荒削りな論文でしたが、海外のトップカンファレンスに採録されたんです」 

研究内容は、ノートPC画面上のノブを動かして、リモートカメラをコントロールするプログラムでした。しかし、当時のノートPCは画面が小さく、カメラの可動域の方がノートPCの画面のピクセル数より大きかった。カメラを自由自在に動かすことはできず、調整が必要でした。

 

そこで綾塚は、カメラの操作性を高めるために、ノブを1ピクセル以下の幅で動かせるプログラムを作りました。 

綾塚「自身で課題を見つけて解決策を考案し、理論構築と実験を重ね、それをまとめきる。一連の流れを経験して、研究の”型”ができたと思います」 

学生のうちに自分なりのやり方を身に着けた綾塚ですが、社会人になってからも、学ぶことは多かったと言います。 

綾塚「特に印象に残っているのは、2001年に、当時所属していた企業がCOMDEX(アメリカの大規模なコンピュータ関連の展示会)に出展した時のことです。社長の基調講演で、試作品のデモンストレーションを行うことになり、私は一番目立つ、画面表示も含めた部分を担当したんです」 

いつもなら、デモンストレーションの時は、開発者が操作していました。しかし、このイベントでは専門のプレゼンターが操作することになっており、本番中、綾塚は舞台袖で様子を見ることしかできませんでした。 

綾塚「怖いったらありゃしなかったですね!自分で操作できれば、うまく動かなかったとしてもどうすれば良いかわかりますが、今回はそうはいきません。

 

絶対に失敗できない中で、いつもより入念にバグ出しをしたり、本番機と予備機を異なる方法で運搬してリスク分散したり、会場での電波障害が起こらないよう、他の発表で使われる機器の位置を変えてもらったりと、細かく準備しました。

 

結果、デモンストレーションは無事に終わりました。舞台裏でガッツポーズしてましたね。この経験で、不具合が絶対起きないようにする慎重さや、どこにリスクがあるかを想定して対応する視野の広さが身につきましたし、何より自信がつきました」

常に意識するのは伝え方━━研究成果の価値が伝われば、次につながる

▲クレスコ技術研究所の研究発表会で研究成果を伝える綾塚(画面右)

 

研究者としての綾塚を形作る要素には、自身が体験したことだけではなく、2つの言葉も含まれています。 

 

1つは、とある研究者からの言葉です。 

 

2011年に、当時所属していた企業にて、共同研究先を探すために海外の研究者を訪問する中で、ペンシルバニア大学の世界的に有名な研究者を訪ねたときのこと。相手の研究を紹介してもらう前に、自分たちの研究について1時間ほど説明したところ、その研究者から「あなたはフューチャリストですね」と言われたのです。 

綾塚「フューチャリストは、"未来的なことをしている"という意味です。お世辞も入っていたかもしれませんが、第一級の研究者からそう言っていただけたのは、とても嬉しかったですね。以降、自分たちの研究を紹介する際には、フューチャリストを意識して伝えることもあります」 

もう1つの言葉は、学生時代の先輩の言葉です。 

綾塚「大学院生だった、ユニークな先輩が、『研究はショービジネスだ』と言っていたんです。つまり、研究成果は人に見せてなんぼだ、その結果、成果が伝わって、その価値を理解してもらうところまでが研究者の仕事だ、と。すごく納得しました。その時から、『いかにわかりやすく伝えるか』をずっと意識しています。時には人を楽しませることも、”伝わる”ことに結びついていくと考えています」 

綾塚が最初に書いた研究論文は、UIに関するものでした。UIは、コンピュータと人をつなぐ役割を担うものであり、見せ方や使い方の発想でもあります。この考えを、綾塚は「コンピュータと医療など、ほかの世界をつなぐこと」にもあてはめています。

 

だからこそ、綾塚は、相手の世界と研究成果をつなげて表現することで、知識の少ない人にも”伝わる”と考えているのです。

発信を通じて、会社を変化・成長させて、社会をより良くしていく

▲未来を担う学生に研究内容とその意義を伝える綾塚

 

綾塚は2021年現在も、医療と機械学習に関する研究を進めています。 

綾塚「診断や治療に直接関わるものを実用化まで持っていくのは簡単ではないですが、今後は病気の診断だけでなく、医師が診断をする際に無意識に注目している箇所をAIに学習させ、患者へのわかりやすい説明につなげたり、医学生の学習教材にも使えるといいな、とも思います。見方、出し方を変えることで、実用化につながる道はいろいろあると思っています」 

そして、「研究で見つけたことを、できる限り社会に役立てたい」という綾塚の強い想いが次の試行錯誤にもつながっています。 

綾塚「研究成果を自分だけが知っているよりは、自慢したいじゃないですか。でも、自慢するためには、価値があることを広く納得してもらえないといけません。だから、発信することがとても大切なんです」 

技術研究所が始めた"クレスコエンジニアブログ"に、部署を問わず多くの社員が執筆するようになるなど、「クレスコ内に、外部に発信する文化を広めることには貢献できたのでは」と言う綾塚。

 

今後は、「外部に発信できる研究をしていく」という文化を根付かせ、加速させていきたいと言います。 

綾塚「クレスコは、特定の業界ではなく、幅広い分野のSIを手がけており、会社規模も『大きすぎず小さすぎず』の規模。会社の未来をつくっていく上で、個人個人の想いが届きやすいフェーズにあると思っています。安定の中で満足するのではなく、個人の仕事で会社を“変えていける”からこそ、成長が期待できると思っています」 

そんな研究者としての綾塚を動かすものは、”知りたい”という想いです。 

綾塚「研究では、全てをすぐに理解することはできません。まずやってみて、ある程度法則性がわかってきたら次のステップに進むようにしています。その法則性を把握するために、メンバーにも『何でこうなるんだろう?』『これをこうやったらどうなるのか、知りたくない?』などと問いかけています。

 

無茶ぶりに聞こえるときもあると思いますが(笑)、やれば理解が進むんですよね。また自分も、純粋に『これがどういう動きをするのか、性質を知りたい』と思っちゃうんです。職業病なんですかね(笑)」

綾塚はこれからも、研究と発信を続け、未来を見据えて邁進していくことでしょう。

 

※ 記載内容は2021年6月時点のものです