地上デジタルテレビ放送の普及促進キャンペーンで世の中が賑わっていた数年前のある日、須永浩崇は以前からつきあいのあるカーオーディオのOEM(※)メーカーであるクライアントの担当者に呼ばれた。
「テレビの地デジ化に続き、ラジオも世界で順次デジタル化されていきます。これに合わせてお客様の自動車メーカーのカーオーディオも、20XX年モデルから地上デジタルラジオ対応とすることが決定しました。この開発をクレスコさんに、できれば須永さんにお願いできないでしょうか。」
これは大きなチャンスだった。クレスコは創業当初からカーオーディオの開発を得意としている。須永自身も入社以来、カーオーディオ一筋に歩んできており、近年はクライアントのプロジェクトリーダーも任されるようになっていた。そうした実績を買われての指名だった。
「それまで、仕様を詰める段階で、クライアントと協議をすることはありました。しかし私自身、まったくの検討段階から開発を任されるのは初めてのこと。今までよりもさらに上流工程に関われるということで、胸が躍りましたね。」
※OEM:発注元企業のブランドで販売される製品を製造すること。
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ラジオ放送がデジタル化されることで、CD並みの高音質に加え、映像や文字によるデータ放送も可能になる。須永が統括するのは、その操作仕様と画面仕様。つまり、デジタルラジオならではの新機能の構想・検討・開発をゆだねられたわけだ。
「デジタルラジオで何ができるのか大枠はわかっていても、じゃあそれをユーザーがどう使い、何を楽しいと感じるのか、最終的な製品イメージをつかむのに苦労しました。」
通常のプロジェクトであれば、クライアントが求めていることを分析し、まとめる要件定義が第一ステップとなる。しかし今回は、デジタルラジオに対するユーザーニーズを想定するところから始めなければならない。
須永は、クライアントが開発している他のデジタルラジオの試作品を見せてもらうなどして、“使う楽しさ”のイメージをふくらませていった。またこれと並行して、カーオーディオの部品をOEM供給する各メーカーの間に入り、意見調整・合意形成を図っていく。そんな中、プロジェクトは1つの山場を迎えていた。
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各部品メーカーの担当者は、自社の技術を最大限に活用する方向で新規機能を考え、主張する。当然、意見が噛み合わない部分も出てくることで、議論は進まず、どんよりとした停滞感が漂う。
「みなさん、各社に何ができるかではなく、まずどんなデジタルラジオを実現したいのかを話し合いませんか?」
須永はそう呼びかけ、自分が育ててきた製品イメージを話した。皆の意見も求めた。そうしてデジタルラジオの「あるべき姿」を共有したうえで、個々の新規機能案の実現可能性を検討し、実現可能であればどの技術要素をどのメーカーが担えば最も効率的に開発が進むのかを整理していった。いつしか、誰もが製品の全体像を俯瞰し、その中でWin-Winの関係を目指すようになっていた。
「新規機能のイメージや機能間の関連性を共有するために、ずいぶん絵を描きましたね。模式図だったりイラストにしたり、何枚も何枚もね。とにかくみんなにわかってもらいたかったんです。」
皆で検討した新規機能を月に1度、自動車メーカーに提案し、課題を持ち帰ってはまた議論。仕様検討開始から半年後、暫定仕様がまとまり自動車メーカーの承認が得られた。
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暫定仕様のリリース後は、仕様書作成と製品ソフト開発が同時進行する。正式仕様、さらにその仕様を機器間通信によって実現するための通信仕様を作成する一方で、暫定仕様を基に基本設計を行い、ソフト開発を進めていく。
ラジオのデジタル化・多機能化に伴いデータ量は格段に増す。当然、コードを起こす実装(プログラミング)も膨大な作業量となる。しかも短納期。日本・欧州モデルや世界各地モデルに先行してリリースする北米モデルを、15カ月後には納入しなければならない。
須永は、複数チームに分かれて行う実装作業の進捗状況に応じて、メンバーを増員していった。突然の機能変更に対応するため、仕様書作成の体制を強化したこともあり、メンバーは最大24名に及んだ。
プログラムの動作を確認する単体テスト、他の開発チームのプログラムを組み合わせて確認を行う結合テストの段階までは、大きな問題は生じなかった。そしてシステム全体を確認、検証するシステムテスト……。
「おい何なんだ、このチラツキは!」
皆が一斉に声を上げた。その戸惑いを冷笑するかのように画面がチラついている。
このチラツキは、仕様書に記載されない微妙な部分で、周辺機器メーカーとの間で認識のズレがあったことが判明。通常なら各社が問題を持ち帰り、プログラムの検証・修正を行うところだが、それだと半年はかかってしまう。リリース予定は2カ月先。クライアントは須永に言った。
「ここはクレスコさんの主導で何とか乗り切れませんか?」
「わかりました、何とかやってみます。」
須永は急遽、品質評価チームを作り、問題点を徹底的に叩き出した。さらに、突き止めた問題点の改修を担当企業にまかせるだけでなく、自ら解決案を考え提示した。改修とリグレッションテスト(※)を高頻度で繰り返し、北米モデルは予定どおりに無事リリースを迎えた。
その後、各地の放送方式に合わせてアプリケーションを追加し、日本・欧州モデル、世界各地モデルをリリース。これらの搭載車が今、北米や欧州を駆け巡っている。
「純正品では初のデジタルラジオ化でしたし、非常にタイトなスケジュール。それだけに、達成感がありますね。」
だがホッとしてはいられない。須永のもとにはクライアントから新たなミッションが届いているのだという。
※リグレッションテスト:プログラムの修正に伴い、その他の部分(修正箇所以外)に新たにバグが発生していないかどうかを調べるテスト
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