「こうすれば、もっとおもしろくなるはず」。ふと浮かんだアイデアを実現させるには、周囲の後押しが欠かせません。株式会社クレスコは、社員の意思を尊重し、後押しする姿勢を大切にしてきました。入社以来、さまざまなアイデアを形にしてきた松井 重典の歩みを通して、クレスコのカルチャーをひもときます。
▲入社一年目の松井重典
社員一人ひとりを尊重し、家族のように厳しく温かく育てる。
これは、クレスコが創業から一貫して大切にしてきた姿勢です。1988年にSIerとして創業してから30年以上が経ち、社員数が1200人を突破しても変わることはありません。
その姿勢に引かれて1999年に入社したのが、松井 重典です。大学4年生の夏、一通のハガキをきっかけに彼はクレスコを知りました。
松井 「ハガキは採用試験の案内でした。私の出身大学からクレスコに毎年何名か入社していて、そのご縁で届いたものだったんです。当時は他の企業に内定をしていたんですが、どことなくしっくり来なくて……。もっとマッチする会社があるかもしれないという気持ちもあったので、受けてみることにしました」
当初は気軽な気持ちでの受験だったそう。しかしクレスコに足を踏み入れた瞬間、彼の気持ちは変化しました。
松井 「他の企業とは違うと、早い段階で思いましたね。何ていうか……。人として向き合ってくれる感覚があったんです。何か質問をすると、こちらが納得いくまで丁寧に説明してくれましたし、面接のフィードバックをくれることもありました。
採用候補者のひとりではなく、『松井重典』として見てくれているんだなと思いましたね」
ようやく「働きたい」と思える会社に出会えた──。
松井の想いは届き、見事に内定。社会人生活がスタートしました。
▲Wii居酒屋で同期と真剣に楽しむ松井(写真右)
ところが松井を待ち受けていたのは、自由だった学生時代とのギャップでした。
松井「誰しもが通る道なんでしょうけど、若手のうちは窮屈さを感じてしまったんですよね。私はもともと仲間とはしゃぐことが好きで、刺激を求めるタイプ。当時は仕事というものに対して、『刺激がなく、同じことの繰り返し』のように感じてしまったんです。なかなかモチベーションもスキルも上がらず、悶々とする日々を送りましたね」
どうすればもっと仕事を楽しめるのだろう。入社してからしばらくの間、彼は悩み続けることになります。
転機は4年目のとき。松井は突如ひらめきます。
──「今週の胸が踊った出来事」を週次報告で共有してみてはどうだろう。
松井「淡々と一週間の動きを報告するだけだと、つまらないなと思ってしまったんです(笑)。胸が躍るようなワクワクする話をみんなで共有すれば、きっと楽しくなる。
自分の目も楽しいことに向きますし、ミーティングの雰囲気も明るくなるのではないかと考えました。さっそく、提案してみましたね」
提案はあっさりと採用。
翌週から週次報告には、「胸☆踊る出来事」という項目が追加されました。
最初は「何を共有すればいいのだろう」とメンバーは戸惑いを隠せない様子だったそう。「同僚と飲みに行った」「動物のニュースを見て心が癒された」など、ポツリポツリと身近な話題が挙がるようになりました。
当初は松井の部署だけで始まった取り組みでしたが、少しずつ社内に広まり始めます。そのうち社内イントラが開設され、週次報告がWeb上で行われるように。おのおのの「胸☆踊る出来事」に対して他の社員がコメントするなど、コミュニケーションのきっかけを生み出したのでした。
さらに松井は、2007年に同期入社の社員と「Wii居酒屋」を開設。毎週金曜日の夜にオープンし、缶ビールや缶チューハイを片手にWiiで遊びながら交流を深められる“社内酒場”です。
松井 「仕事上がりにふらっと気軽に集まれる場があれば、息抜きができて、楽しく仕事に取り組めそうだと思って、始めてみたんです。若手から部長クラスの社員まで、5〜6人ぐらいで集まってワイワイ話す。部署も役職も関係なく、普通に仕事をしていたら関わらないような人たちの交流の場になりましたね。
SIerという仕事柄、顧客の会社に常駐する場合もあり、社内の人たちとの交流って意外とないんですよね。常連になってくれる人や、気になってのぞきにくる人もいました」
時には少し広めのスペースを貸し切って、30人規模の「Wiiテニス大会」を実施したことも。
オフィスのレイアウト変更にともない、惜しまれつつも1年ほどで閉鎖となりましたが、フラットに交流できる場をいつかまたつくりたいと松井は考えています。
▲お世話になった上司とのツーショット
頭に浮かんだ、おもしろそうなアイデアを形にしてきた松井。その影には、彼を尊重し、バックアップしてくれた上司の姿がありました。
それが2017年度に定年退職した木村 孝之。
木村が定年を目前に控えたある日、松井は「俺の送別会の幹事をお願いしたい」と任命されます。
木村は、松井の新人時代からの上司。
入社1年目に配属された部署の部長であり、その後も数年にわたり直属の上司と部下の関係性は続きました。「クレスコで一番お世話になった人」だったと振り返ります。
松井 「仕事で失敗すると厳しく叱られることもありましたが、僕が出すアイデアを『いいね、おもしろそう』と真っ先に肯定してくれるのはいつも木村さんでした。Wii居酒屋も、木村さんが予算を確保してくれたからこそ、実現できたんです」
お世話になったからこそ、木村が心から喜ぶことをしたいと、松井は考えを巡らせます。
木村は非常に社交的な性格。きっと一人ひとりとじっくり話したいと思うはずだ……。
ここで松井は、またしてもひらめきます。
月に一度のペースで、テーマ別の送別会を複数回開いてみてはどうだろうか、と。
松井 「木村は社歴が長く、関わった社員が多いので、一度に送別会を開いてもじっくり交流できないだろうと考えたんです。そこで送別会を半年間、6回に分けて開催することにしました。一人ひとりとの思い出を振り返れるはずだと思ったんです」
こうして木村の送別会プロジェクト「KIMUTAKA Meetup!」が始動。松井は統括プロジェクトマネージャー(PM)に就任。テーマごとに6人のPMを指名し、チーム戦で臨みました。
松井 「趣向を凝らしていろいろと企画しましたね。『昔のプロジェクトメンバーにしばらく会っていないな』と木村が漏らしていたので、当時のビジネスパートナーさんやメンバーを集めた『プロジェクト同窓会』を開催。他には、ゴルフをみんなで楽しもうとバスを貸し切って『ゴルフ合宿』も開きました。毎回20〜30人ぐらい集まって、昔話に花を咲かせていましたね」
最後は、「お世話になった人全員集合」というテーマで約80人を招待。社員に囲まれて楽しそうに話す木村の姿を見て、松井は達成感を覚えました。
松井 「送別会中の木村は、終始笑顔でいてくれた。その姿を見ていたら、僕も嬉しくなっちゃって。とても感慨深かったですね。
やはり僕は、楽しいことが大好きなんだなって実感しました。まずは自分が『楽しそう、おもしろそう』と思えることを企画する。そのパワーが周囲に伝わって、みんなも一緒に楽しんでくれれば良いなと思っているんです。この気持ちは、今も昔も大切にしていますね」
チャレンジを後押ししてくれるクレスコという土壌にて、多くのアイデアを形にしてきた松井。
業務では、これまでの経験で培った「アイデアを形にする力」や「周囲を巻き込む力」を顧客に向けて発揮し、2019年には、とある主要顧客の案件を束ねる統括プロジェクトマネージャーに就任しました。
100名規模のメンバーをまとめながら、顧客に「胸躍るような価値」を提供するために尽力しています。
▲第二金融ソリューション事業部第一部 アドバンストアプリケーションスペシャリスト 松井重典
社員の発想に耳を傾ける。
この土壌があったからこそ、松井はさまざまなアイデアを実現させられました。
ところが、人数が増えると社員一人ひとりの声が届きにくくなることもあります。
そこでクレスコでは、社員の声を経営層にボトムアップで届けるため数カ月に一度「オフサイトミーティング」を開催しています。現在の5か年ビジョンである「CRESCO Ambition 2020」の具現化をテーマに、若手社員から中堅、ベテラン社員が部署横断で集まり気楽にまじめに議論。
クレスコ憲章にある「クレスコは皆が経営する会社である」の通り、施策のアイデアは経営層に届けられます。
松井も、入社から現在に至るまで、クレスコの社員の声に寄り添う姿勢は変わらないと語ります。
松井 「僕の入社から20年あまり。社員数は4倍になりました。入社したころに比べると、横のつながりはどうしても薄くなってしまいます。それでも、クレスコは諦めていない。
クレスコに初めて出会ったときに感じた“人”として向き合ってくれる姿勢は、今も変わりません。どんなに時代が変わっても、この姿勢は変わらずにいてほしいですね」
いち採用候補者ではなく、「松井 重典」として見てくれている。
松井が入社当時に引かれた、一人ひとりを尊重し、温かく迎える姿勢は、今もクレスコの魂として根付いています。
※記載内容は2020年1月時点のものです